今から、かれこれ20年前の私の恐ろしい体験談をお話します。
宮崎の北部、当地では県北といいますが、この地は日本でも3本に入るぐらいの鉱石の産出地です。
私の唯一の趣味は鉱物採集です。
この時も鉱物採集が目的で日之影町の日隠山に子ずれ水晶の出る場所があると聞き、その下見に行った時のことです。
季節は2月でした。県道から7、8キロ外れた日隠林道という舗装のない山道を、3歳の長男と妻と連れてその目的地である女郎墓という場所を目指して上りました。
そこに着くと道端に小さな標識で女郎の墓と書いてありました。
その標識の先は奥深い谷底をさしていました。
杉林が続く坂道は根雪を被り所々に黒々とした岩が飛び出し、注意しないと滑りそうでした。
雪が結構残っているので、妻と長男を残して一人でおりていきました。
ものの10分ぐらいで谷底にたどり着きました。
そこら周辺は大きな木々に覆われ谷底は水もほとんどなく巨大な岩が所狭しと立ちはだかり、こぼれ日がその1つの岩を明るく照らしていたのを鮮明に覚えています。
辺りに目をやると平らな窪地にどうやら墓石らしい物が無数にありました。
はっきりとわかる墓石には武士らしい名前が書いてありました。
でもその数は大した数ではありませんでした。
それよりもその武士の墓の周りにはおびただしい数の小さな石を積み上げた墓が目に入りました。
よく見るとこれらも墓石であることは直ぐにわかりました。
また、この場所の由来からこれらがお女郎さんの墓であることもわかりました。
本当に寂しいこの寒い山奥のそれも日が余り当たらない谷底に、何百年の間弔う人もなく眠りつづけているお女郎さんのことに思いを巡らしていくうちに、いつしかそこに膝ざまづいて手を合わせていました。
この中には、もしかして門川から来てここで亡くなった人もいたかもしれないと思いつつ。
ちょうどその時でした、微かに赤子の泣くような声が耳に入りました。
そのとき思ったのは、こんなん所まで私の車にいる長男の泣き声が聞こえるのかなと。
また、続いて今度はその赤子をあやすような女の声、妻の声だなと納得した次第でした。
名前もかすかに読み取れる墓石もありました。それには確か、「みね」とか「とみ」と書いてあったようです。
お女郎さんの墓の殆どはただ石を2、3段積み上げているようですが、これらは奇特な人により元通りに積み直しされたようです。辺
りを見渡しても水晶が出そうな所も見つからず、体が冷えきってきたので戻ろうと思い、今しがた来た道を谷底を行ったり来たりして探し歩いていると、確か谷底に着いた時によく山登りする途中にケルンといって石を何段か積み上げて見印にするような物があったことを思い出し、それを見つけました。
ここから登れば車の場所に戻れると安心したことを覚えています。
その時でした。
私の後ろの方から男の人が声を掛けてきたのです。
「お宅のご家族ですかね、上の車にいらっしゃるのは」と言われて、とっさに「そうです」と答えたのを昨日のように覚えております。
「主人が下に下りていますと聞かされて、私たちも女郎の墓を見にきたのですよ」と話し掛けてきました。
私は今歩いてきた方向を指差して「向こうの方へ行けば直ぐ女郎の墓は見つかりますよ」と答えました。
その人たちが私から離れて行くのを見ながら、今このケルンを登るとまるっきり反対の道を登っていくことになると、やっと気がついたのです。
そして、慌ててあの人たちが降りてきた道を登り、上の林道に止めてあった車にたどり着いたのです。
「賢一は泣いたか、下まで声が聞こえたよ」「泣かないわ、寒いので窓は閉めていたわ」と私の問いに、妻は答えた。
その時あの声は・・・・・。
ここでこの話は終わり。
でも、まだ続きがあります。
それは後日に。